海釣りと年金
大阪弁護士会会員 大水 勇
 私は、瀬戸内海の海に近い田舎で育ちましたので、子どもの頃から魚釣りが大好きです。海岸や波止から釣竿を出して釣っていました。2〜3匹釣れれば満足だったことを覚えています。
 大阪で生活するようになってからは、田舎のような釣りは出来ませんので時々投げ釣り等をしていました。また防波堤に登って小魚を釣っていました。
 ところが平成元年頃に、知り合いから釣り船に乗って鯛釣りに行くことを勧められ、海釣りをするようになりました。場所は舞鶴湾の冠島付近で、水深40メートルから70メートル底にいる魚を電動リールを使って釣ります。魚が掛かるのを待つわけですが、釣竿を動かして誘いをかけなければ良い釣果は望めません。釣っている時は、結構忙しくしています。私は、船酔いをしませんので波の動きに身を任せて気持が良いというところです。青い海を見て海風に吹かれていると気分一新で一番のリフレッシュになります。
 釣り船に乗っての海釣りに行くようになってから食べられる魚を家に持ち帰ることが出来るようになりました。
 以前は釣りに行くとなると女房殿から「今晩のおかずはどうする?」と嫌味をこめた問いかけが度々ありました。釣りに行く場所が武庫川河口でしたので、魚が釣れても臭かったり、また、小さいために持ち帰ろうと思うほどではなかったりで、通常は魚を自宅に持ち帰らなかったためです。そこで「たまにはおかずを釣って来い」との激励とも取れるし、日曜日に勝手に一人で遊びに行く私への嫌味を言ったとも思えます。
 初めて釣り船に乗っての釣行は、なんと45センチの鯛と小鯛数匹及び大型のアジ十数匹というものでした。自宅に持ち帰ると、女房殿は食べきれないほどの魚を目の前にしてびっくりしていました。それらの魚は隣近所におすそ分けをしました。

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 こうして何回も行くようになった後のある日、女房殿から「近所の奥さんから『ご主人は今度いつ釣りに行くの?』と尋ねられた」と聞き、我が意を得たりと内心喜んでいました。
 こうしてたびたび海釣りに行っているうちに娘婿とも一緒に釣りに行くようになりました。そこで女房殿も行かないかと誘っていたのですが、嫌がっていました。ところがなんの拍子か平成10年の夏に家族全員がイカ釣りに行くことになり、知り合いの船頭の釣り船を借り切って、私の知人も誘い、我が事務所の職員も一緒に総勢10名で舞鶴沖に出船しました。
 この釣りで大事件が起きたのです。即ち女房殿が72センチの鯛を吊り上げたのです。私はまだ60センチの鯛しか釣っていませんでしたので、これには参りました。船頭は記念写真を撮り、週刊つりニュースに掲載されました。この記念写真は、大きくして我が家の応接間にドンとかかっています。このことにより我が家での海釣りの比重がグンと高まりました。こうして私が日曜日に漁師になることが家族内のコンセンサスを得た次第です。
 ところで舞鶴から出船し、漁場には1時間あるいは1時間半かかります。乗合船ですので様々な人が乗っています。漁場に着くまで釣り仲間でいろいろ話をします。一番の話題は、今日の釣果の予想です。天候・汐の状態等で釣り方が変化しますので、その苦労話と工夫を話し合うのです。汐が早すぎて底がとれず全く釣りにならなかったこと、棚のとりかた等薀蓄を傾けた話が聞けます。次は、釣った魚の食べ方とおろし方です。同じ釣り船で行く人は次第に知り合いになり、いろんな世間話をするようになります。

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 弁護士年金には、平成3年8月の設立と同時に入りました。当時は、前述のように海釣りに熱中していた時期です。釣り仲間と漁場に行く途中に親しくなった同行者とは、いろんな話をしました。その中に釣り仲間の一人、定年前の人でしたが先輩が年金で暢気に暮らしていることを羨んで、自分も老後は月に何回か釣りが出来る生活をしたいな等と話していました。年金について興味を持ったのは、この人の話を聞いてからです。私は、当時国民年金に加入していただけですがもともとリタイアする気がなかったので年金について考えたこともありませんでした。
 この話をして程なく弁護士年金ができたことを聞きましたので興味を持ち、いろいろ聞いてみました。年金の受給までには相当時間がありますので、それほど興味はありませんでしたが、支払い掛金が全額所得控除の対象になるということには興味を持ちました。当時自分の納付すべき税金を考え、直ぐに加入することにしました。釣り仲間の話を聞いていなければ入っていなかったかもしれません。
 弁護士年金を受給できることは、今後急激に弁護士が増え、競争が激しくなり、収入が減少しても老後はやっていけるのだと心強いものであると思い、今では「入っていて良かった、これで海釣りに行ける」と安心しています。

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陽だまり No.22  `03.5より