「美女と犯罪」考
青森県弁護士会 三上 雅通
 「我妻民法講義」が私の教科書だったといえば年金生活者予備軍であることがおのずとばれるのだが、民法も現代語化はされる、重要判例は続々と登場する、条文の改正はされるで、我妻民法を繙くことも滅多になくなってきた。
 しかし、山田宏一著「美女と犯罪」だけは、私の映画に関する教科書たるを未だに失ってはいない。初版は昭和59年の早川書房版。文庫本による改訂を経た後、平成13年には取り上げる美女が一気に2倍にふくれあがった大改訂版がワイズ出版から発行されている。誰それがいつどこで生まれてどんな映画に出演したなどという女優事典に非ず、出演映画と実生活との虚実をえぐるゴシップものにも非ず、ただひたすらにスクリーン(銀幕といった方がいいか)に映し出される女優の美しさを書き綴った本、それが「美女と犯罪」である。で、なにが「犯罪」かというと、美女は犯罪なのである。
 たとえば『脱出』のローレン・バコール。わが教科書は彼女とハンフリー・ボガートとの出逢いを次のように描く。――彼女はボギーにゆっくり近づいていき、彼女のほうから肩を抱きかかえるようにして、キスをする。おどろくボギーに彼女はもう一度キスをする。こんどは彼のほうもくちびるでこたえる。すると彼女は言う。「そう、その調子。ぐっとよくなったわ。」――
 または、ダニエル・ダリュー。彼女の「不可解で謎めいた微笑」がスクリーン上に消えてしまうことをいとおしむかのような(「時よとまれ、お前は美しい!」)文章。――深いくぼみができる大きな瞼で、伏目がちになると瞼にもうひとつ別の眼が出てきそうなくらいだ。彼女の口もとに皮肉っぽい笑みが浮かぶことはほとんどまったくない。あの無垢の象徴のようなおちょぼ口は、メーキャップによって見え隠れする口もとの小さな艶ぼくろ以外に官能的なものは何もあらわしていないように思える。そのかわりに、瞼にすべての表情があらわれる。目を大きくみひらくと、これもむしろ無垢の象徴のようなつぶらな瞳で、悪意の、あるいは情熱的な目つきなどはあまり得意ではなさそうなのだが、大きな深い瞼の開閉によってほとんど官能的な多彩な表情が生まれるのである。――

 私はこうして映画の、というより銀幕上に現れる美女の見方を教わり、教科書で引用されている映画を見て復習し、さらに実習に励むこととなる。たとえば、
「復讐を愛に転化させた女の過激な美しさを描いたドイツ映画『罪ある女』のヒロイン、ヒルデガルト・クネフ」に逢いたいがため、ずいぶんこの映画を探したのだが見つからず(誰かビデオを持ってませんか?)、そのかわり、彼女が脇役ながら出演するルネ・クレールの『アンリエットの巴里祭』を見ることができたときのうれしさよ。
 そして、ハワード・ホークスの『リオ・ロボ』でのジェニファー・ジョーンズを見出した際のこころのときめき。
 酒場の片隅でお茶を飲むジェニファー。そこに父を殺した悪党たちが追いかけてくる。彼女はひるむことなく手提げからデリンジャーを取り出し、悪党を撃つ。その場に居合わせた大御所ジョン・ウェインらが残りをやっつけた後、彼女は緊張の糸が切れ、気絶する。彼女を抱きかかえるジョン・ウェイン。そのとき、ジェニファーのかぶっていた帽子が床に落ち、長いブルネットの髪がはらはらとこぼれ落ちる。美しい!

 何年ぶりかでこの傑作西部劇を見直した。ジェニファーは相変わらずの美しさである。しかし、次の場面にもなぜか心が動かされるではないか。――彼女とジョン・ウェイン、そして彼の相棒が野宿する。朝、目を覚ましたジョン・ウェインは自分の寝床に彼女が入り込んでいるのに気がつきびっくりする。「おいおい、どうしたっていうんだ」「寒かったんだもの」「なぜ彼のところに行かん?」「だって彼は若いもの。あなたなら安全だわ」「安全? みくびられたもんだ!」。
 昔はジョン・ウェインなんかに感情移入したことなどなかったのだった。そういえば、フリッツ・ラングのフィルム・ノワール『飾り窓の女』を見直した際も同じ思いに駆られたのである。この映画、犯罪学の老教授(エドワード・G・ロビンソン)が飾り窓の美人画に見とれているや、その絵そっくりの美女(ジョーン・ベネット)に出逢い、その彼女のマンションで殺人まで犯してしまうというお話だが、昔はジョーン・ベネットにぞっこん参ったものだった。ところが今や、映画を見ていても彼女の美しさにどっぷりつかるというよりは、なんだかエドワード・G・ロビンソンのほうに肩入れしてハラハラドキドキしながら見てしまい、最後にこのお話は老教授が会員制クラブでちょっと飲み過ぎたために寝入った際の夢の中の出来事でした、めでたしめでたしということで(何回も見ているというのに)ほっとしたのであった。
 まったく情けない。もう一度わが教科書「美女と犯罪」を読み直し、初心にかえらなくてはいけない。

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陽だまり No.30  `07.5より