私と年金と野良猫
第一東京弁護士会会員 木谷 嘉靖
飲み屋での話
 私は、雑然とした路地のある飲み屋街で、仕事とは全く関係のない気心知れた仲間と酒を飲み交わすのが大好きである。
 日本弁護士国民年金基金が設立された平成3年直前のある日、私は事務所から、いつものように四谷荒木町の路地裏にあるサッカー大好き人間が集まる馴染みの飲み屋に直行したところ、自由業の先客が元サッカー選手である飲み屋の大将と年金談義をしている場面に遭遇した。顔見知りの先客は私の顔を見るなり、
突然、
「おまえは年金に加入しているのか」
と真顔で問い質してきた。とっさに国民年金には結婚後から加入していると言うと、大将が、酒の準備もせず、
「意外と先生も馬鹿だね、掛け金はドブに捨てるようなものだ。」
とのたまう。
「なぜだ」
と聞くと、大将曰く
「少子・高齢化が益々進んで将来的に年金事業は破綻し、掛け金以下の給付しか受けられないに決まっている。結局、年金に加入するということは損をするということだ。だから俺は年金には入らない。今のうちに掛け金相当額は旨い酒でも飲った方が利口だというものだ。」
「大将も商売がうまいね」
と私が言うと、先客は大将に向かって
「こいつみたいな奴がいるから年金事業は破綻するのだ。」
と強い口調で非難した。
 そこへ、この飲み屋によく顔を出すサッカー大好きの噺家である師匠が訪れ、この年金談義に加わった。
師匠曰く
「あたしにはね、学生時代にもう子供がいた、今は3人います。今後も増えるかもしれない。あたしの血を引いているから子供は当然遊び人になる。子供が結婚するか否かは別にして、あたしには早晩孫ができる。子供はあたしにはあまり寄り付かないが、孫には会いたい、寄り付いて欲しい、いいおじいちゃんでいたいでしょ。そのためには孫にお小遣いをあげるお足が必要だ。たとえ年金が掛け金割れしても、確実に孫のお小遣いにはなるからね。これを楽しみにして国民年金にはかなり早いうちから加入しているよ。老後相当の生活資金の蓄えも無く、年金にも加入していない、おじいちゃん・おばあちゃんのところには、間違いなく、孫はおろか、野良猫さえも寄りつきませんよ?大将、老後は悲惨だね。仮にあたしの隣に住んでいるとしたら尚更だね。あたしの所には子供は来なくとも、毎日孫か野良猫が遊びに来ているのだから?」
先客はかなり酔いも廻ったらしく、師匠に対し
「円生は年金なんかに入ってなかった筈だ。噺家なら名人といわれた円生のような生き方をしろ。噺家が年金に入ってどうする。だから師匠は売れっ子になれないんだ」
等と悪態をついた。私は
「おいおい、先客よ話が違うぞ。君は年金加入論者だろ。年金加入と師匠が売れっ子になるか否かは関係ないだろう。」
と心の中で呟きながら、いつの間にか差し出された酒を何杯か飲み干し、ほろ酔い気分になっていた私は、師匠の噺に何となく納得した。

年金基金加入
 このようなことがあった直後、日本弁護士国民年金基金設立の連絡通知が私のもとに舞い込んだ。事務所に出入りする大学時代のサッカー仲間である社会保険労務士に、飲み屋での話と年金基金設立の話をした。仲間は私に 「先輩、基礎年金である国民年金だけでは将来本当に野良猫の餌代程度の給付になる可能性がありますよ。月に数回ゴルフ場に行きたければ直ちに年金基金に加入すべきです。」 と冗談っぽく助言をしてくれた。この助言により私は直ちに5口の年金基金に加入することにしたのである。

その後
 平成5年、私と妻はそれまで住みなれた内藤新宿にあるマンションを引き払い、吉祥寺に移転した。なんと庭付き……ただし猫の額程度である。数年後、子供のいない私は、犬でも飼おうと思い犬小屋を買い求めその庭に置いた。ところが何日かして雌の野良猫が犬小屋に住みついてしまった。これも何かの縁と思い餌を与えることにした。名前は「ノラ」、野良猫の野良ではない。イプセンの「人形の家」の自由奔放に生きたヒロイン「ノラ」の名前を頂いたのである。
 私自身年金受給年齢までに天寿をまっとうしてしまっているかもしれない。しかし、仮にそれまで幸運にも生きながらえていたとしたら、少なくとも私には野良猫の餌の入手と月数回のゴルフプレーは保証されているのだ。これをもって満足としようと思っている今日この頃である。
 吉祥寺移転後はもっぱら、その界隈の野良猫が住みついている路地裏で酒を飲む。四谷荒木町にはほとんど行かない。そのためか、大将は店を閉じた。風の便りによると結婚したらしい。きっと老後を考え心を入れ替えて、年金にも加入したことであろう?

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陽だまり No.21  `02.11より