11年が経過して
福島県弁護士会会員 鈴木 芳喜

 私は、年金基金の理事に就任していた関係で、2005年発行の「陽だまり」26号に、「入院して思ったこと」という題で寄稿させて戴きましたが、寄稿時から11年が経過したことから、当時と現在の社会環境や心境の変化について書いてみたいと思います。
 まず、この11年間(過ぎてみればあっという間でした)で最大の出来事は何と言っても、2011年3月11日に発生した東日本大震災です。当時、私は裁判で仙台市におりましたが、午後3時前に突然大きな揺れが襲って来て、これはただ事では無いと思い、直ちに裁判所を出て福島市の事務所に車で戻ろうとしました。しかし、高速道路は閉鎖され、已むを得ず一般道路を使って帰ろうとすると停電で交通信号が消えて大渋滞となり、いつもは1時間で帰れるところ、事務所に戻れたのが午後11時(8時間を要しました)になってしまいました。幸いな事に事務所のパソコンや備品等は落下したり、壊れたりしていましたが、事務員や家族にケガ人等は無く、一安心しました。しかし、翌日から断水となり(電気は通じました)、トイレが使えず大変な状況になりました。その後は、事務員の自宅に井戸が有ったことからその水を運んで貰い、使わせて戴きましたが、今度はガソリンが無くなってしまい(放射線汚染の恐れでタンクローリーの運転手が福島県に入ることを拒絶したためガソリンスタンドのタンクに給油ができなかった)、本当に困りました。
 当然、12日以降、仕事をすることは困難で裁判所も休みとなり、通常に戻るのに約1ヶ月を要したと思います。
 今日で丁度震災から5年が経過し、福島県は震災前の状態に戻りつつありますが、その後に発生した福島第一原子力発電所の爆発事故に伴う放射能汚染により、まだ多くの県民が避難生活を強いられています。また、福島県産の農水産物についても放射能汚染の有無について検査の上出荷しているのですが、福島と聞いただけで拒絶反応を示す消費者も多いようで風評による被害が続いています。
 ところで、福島県だけでは無いと思いますが、当県では前回執筆時以降弁護士数の増加と訴訟事件数の減少が顕著になっています。登録弁護士数では2006年に93名だった会員が2015年には185名に、そして、今年2月には194名に倍増しています。一方、福島県の人口は2006年に208万人だったのが今年1月には191万1000人に、16万9000人も減少し、それに伴い本庁と5支部を合わせた民事、行政、通常訴訟新受件数が2006年の1379件から2014年の1124件に255件減少し、又、破産新受件数は、2006年の2200件から2014年の487件に、1713件も激減しています。
 このような現状から当県弁護士会でも弁護士の収入は減少傾向にあり、勤務弁護士として雇用を希望する修習生の就職も待遇も厳しくなっているようです。
 私の事務所では現在3名の勤務弁護士がおりますが、大都会での就職が厳しい状況から地方会での登録を希望する研修生も増え、私としては優秀な弁護士を雇用することができて幸運だったと感じています。
 以上のように、弁護士として事務所を経営していくのが厳しい状況に有りますが、私の場合65才となった2年前から年金基金を含む年金を受給できるようになりました。私は年金基金が設立されるのと同時に妻と2人で即加入しましたが、60才までは掛金を納付し、その間は掛金全額が経費として所得から控除され(妻と2人加入の場合、相当の利益が有ります)、65才からは終生定額の年金が受給できたことで、加入していて良かったとつくづく思っています。特に、妻については私が死亡した後の生活の保証の意味で心強く思っています。また、年金基金の他に、当然国民年金にも加入していたことから、これも受給できますし、私の修習当時は2年間国家公務員だったことから共済年金も受給しています。今年、妻も65才となることから、2人で年金を受給することができるようになり、掛金を納付していた当時は大変な事も有りましたが、今となっては加入していて本当に良かったと思うこの頃です。私の体験としては、若い時代の万一の事態に対しては、貯蓄型の生命保険ではなく、掛け捨ての生命保険で対応し、掛金の差額で年金基金に加入するのがベストと考えています。若い先生方の将来の生活設計の中に是非国民年金基金を考えて戴ければと思います。

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陽だまり 2016 No44より