地道な弁護士活動
埼玉弁護士会会員 馬橋 隆紀

1.唸る冷房機
 昨年1月から弁護士国民年金基金の年金をいただいている。あえて「いただいている」と言うのは、それなりの想いがあるからである。年金基金の設立が平成3年夏ということであるから、あれは確か、平成2年の春頃であったはずである。我々は、法曹会館裏手の今や半数以上の会員が知らない日弁連会館のクーラーというより冷房機の唸る音で会話もままならない講堂の片隅で、年金基金設立に向けて議論を行っていた。私が、何故そのメンバーに入ったのかは定かではない。考えられるとすれば、埼玉弁護士会の副会長当時、横浜・埼玉・千葉県の弁護士会会員も東京都国民健康保険組合に入れてもらうための業務を行っていたため、厚生族とみられたか、あるいは、私自身が保険について少しばかりの知識があったからかもしれない。

2.弁護士のプライド
 その場での議論は、まず年金制度の仕組みから始まりその運用や将来への見通しなど、これまで論じたことのないような言葉も飛び交う、手探りのなかで行われた。なにしろ、弁護士には基金加入の前提となる国民年金に加入していない人も少なくなかった。途中から参加した私にはよくわからない議論もあったが、そのなかで今でも印象に残っていることがある。まず、設立にあたっての規約として、当時の厚生省で作成したモデル案をまるごと使うか、やはり法律家の集団として疑問のある点は指摘し、これを修正すべきではとの議論があった。結論は、将来、この規約を見ることであろう若い弁護士さんの眼にも耐えうるような規約を創るということで、原案をあれこれ手を入れたことがあった。また、当時の民間の年金基金においては、役所の経験者が常務とか専務理事に就き、業務を担うというのが一般であった。これについても、我々自らが年金基金を運営していこうということで、外部からではなく、弁護士のなかから常務理事を選任することとした。以来、現在に至るまで、年金基金は、すべて弁護士と弁護士会からの職員さん達を中心に運営されてきているのである。この年金基金の規約や事務体制には、設立時の弁護士のプライドと自立の心意気が込められていることを忘れてはならない。

3.不思議な縁
 松本楼での創立記念パーティーは厚生大臣も出席する盛大なものであったが、事務所は新橋の4・5人集まれば満員になるようなエレベーター、それも10階近くの小さな部屋であった。今の会員は、弁護士会館のエレベーターが遅いとか、コンピューターの頭が悪いとか苦情を言っているが、あの当時の新橋のビルを体験した者にとっては、「あれと比べれば・・・」という感じである。私は、その後代議員や理事を務めたが、私自身さほどの仕事はしていないものの、常に金融界の情勢に気を配り、受託機関のシェアを気にする執行部の気遣いは大変なものであった。
 ところで、この様ななか設立前後を通じて多くの先生や職員の方々と知り合うことができた。前述したような経緯もあって、初代常務理事として苦労された東弁の三角信行先生とは、平成6年司法研修所で三角先生が刑事、私が民事の教官として同じクラスの担任となった。修了間近になって修習生にそれとなく年金の加入を勧めたが、いまとなるとあのクラスの修習生の出損により私の年金が支払われているように思えるから不思議である。また、当時、設立時に規約等を理論的に検討された二弁の小山稔先生には、その7年後、日弁連法務研究財団の設立の際に誘われ、研修を担当することになった。
 また、設立時に事務局を担い、現在事務局長をされている椿さんは、その後、財団の担当として、大きな負担をおかけしている。また、これまで基金の事務をされた石坂さんや土屋さん等、その後財団の事務を担ってくださったかたも多い。また、鈴木さんは、その後埼玉弁護士会の事務長となり御苦労をおかけした。

4.地道な活動
 振り返ってみると、何かを創るときは、同じ人々が集まるものだと感じる。設立当時、年金について関心をもつ人は少なく、一方、研究や研修に力を注ぐ人々も多くはなかった。しかし、かつては、「節税のため」がうたい文句であった年金制度は、今や、弁護士の将来の生活補償という切実な問題の解決策の一つとして考えられるようになった。また、昔は、夏の風物詩であった夏期研修だけを行っていた日弁連の研修委員会も倫理研修の義務化、ライブ研修、ツアー研修と発展している。今や年金の常務理事と研修総合センターの初代センター長が共に一弁の菰田先生というのも縁を感じる。年金と研究財団は、各地の弁連大会では机を並べ、共にちょっとはにかみながら勧誘をしている。ここ数年来、ともに若い先生方の関心が高くなっていることは感じる。
 弁護士にとって、市民のため、人権擁護や社会正義のため、その力を注ぐことは極めて重要なことである。ただ、弁護士には弁護士自身の資質や生活保障のためにやるべき活動があるはずである。それは表に出ることもない決して華やかな活動ではないかもしれない。
 年金をもらう身になって、改めてそのような活動に尽力してくださった先生方に想いを致し、現在においても、将来の弁護士の在り方を考え、地道な活動をしている多くの先生方に敬意を表するものである。

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陽だまり 2014 No42より